「光の番人」を振り返る
皆さん、こんにちは!2021年も終わりが近づき、振り返るにあたって、夏のイベント「光の番人」から得た教訓についてお話したいと思いました。「光の番人」が失敗に終わったという事実をきっぱりと認め、そこから得た学びを今後の大きなイベントにどう生かしていくかについて共有したいと思います。
非常に重要な注意書き:私たちはライアット全体ではなく、PC版LoLに関して焦点を当てています。
長い内容になりますので、こちらに教訓の要約を記載します。
- イベントのメタゲームは、やり込み度の高いプレイヤーだけでなく、一般的なプレイヤーにもアクセス可能なものである必要がある。
- 一般的なプレイヤーがメイン部分をやり終えられるよう、大規模イベントのペースを調節し、大がかりなレベル上げはハードコアなプレイヤー向けのやり込み要素として取っておく
- メタゲームのデザインを合理化し、プレイヤーがすべての要素へアクセスする方法を理解できるようにする
- 特に正史については、過度なゲームプレイの周回作業をしなくてもアクセスできるようにし、メタゲーム外で物語にアクセスする方法を提供する
- ストーリーおよびキャラクターのトーンは、プレイヤーの期待と合致している必要がある。
- 同時に起こるストーリーテリングの形式の整合性を保つ
- プレイヤーの代わりとなる無個性なキャラクターは、デフォルトではなく、それが理にかなっている場合にのみ組みこむ
- チャンピオンの性格を曲げない
- クライアント内のビジュアルノベルには、考慮すべき範囲の制限が存在する。
- 全体で膨大なストーリーを語るためでなく、物語の大きな拍動に色やディテールを加えるため、または、そうしたストーリーに特定の機会を提供するためにそれらを利用する
それでは見ていきましょう。
アイデア
「光の番人」は、シーズン開始時に「滅びへの路」からスタートした、LoL初の数か月にわたるストーリーイベントの最大の盛り上がりとなるものでした。この全体の展開は、LoLの長い歴史で見ても、中核となるルーンテラの物語における最大の表出でした。複数の新チャンピオンのリリース(ヴィエゴ、グウェン、アクシャン、当初の予定ではヴェックスも)をひとまとめにして、イベント中の姿でチャンピオンを描いたスキンをリリースしました。
さらに、ヴィエゴとの戦いの最中にプレイヤーが光の番人たちと交流し、基本的なイベントの進行体験に没入感をプラスするための手段として用いることで、「精霊の花祭り」におけるクライアント内のビジュアルノベルとキャラクターとの交流における成功をさらに発展させたいと思っていました。
学んだこと
イベントの進行スピード
2020年の「精霊の花祭り」では、やり込み度の高いプレイヤーは最初の2~3日で「精霊の契り」をすべてクリアし、残りのイベント期間を精霊の花びらを集める作業に費やしました。「結集せし光の番人」では、ハードコアにやり込んでいるプレイヤーと一般的なプレイヤーのあいだにある、ストーリー進行速度の隔たりを埋めたいと考えました。そこで私たちは「結集せし光の番人」の進行度が毎週増加するよう設計しました。これは、ハードコアにやり込んでいるプレイヤーは序盤のコンテンツをより速く完了でき、フィナーレを迎えるころには一般的なプレイヤーもほぼ追いつくということを意味します。これはまた、ランクを上げるにつれて番人の勢いが増していくというテーマに沿ったクールな表現になると考えました。
最終的にはイベントの途中でパッチをあてて、プレイした試合ごとに進行度がかなり上昇するよう変更しました。これにより、どの地域を最初に訪れるか、そしてどの番人でスタートしたかに基づく進行度の影響がなくなりました。一方、これは私たちがイベントの調整を完全に誤っていたからでもあります。やり込み度の高いプレイヤーでさえ、私たちが設計した速度では進行していませんでした。また一方で、後半になるほど進行度を稼ぎやすい仕組みというのは初めからリスクのある選択でした。イベント期間全体でみれば上手く調整されていても、最初の数週の進行が遅ければプレイヤーのやる気を削いでしまいかねません。特に一般的なプレイヤーは、このストーリーをクリアできる見込みはないという気持ちになってしまうことがありました。
ここから得た教訓は、プレイヤーによってイベントのメインパートの完了タイミングがバラバラであっても、「精霊の契り」で採用した仕組みのほうがより優れたイベント体験であったということです。最初のうちをより速く進行させられると、通常のペースでプレイしていたとしても、ストーリーと世界に初めから没入できます。このイベントがあなたの興味を引くものかどうかすばやく掴むことができますし、もしそうなら、最後には主要なパートを完了しているだろうという自信を感じるでしょう。
一般的なプレイヤーとハードコアなプレイヤーのために、意図した速度でプレイヤーがイベントを進行させることを確実にするために、より入念な調整を行う必要があります。
物語をゲームプレイで制限する
前のトピックと関連していますが、このテーマは独自に設ける必要があると思っています。自分自身もヴィエゴとの戦いに参加しているように感じてもらえるよう、イベントを進行することで「結集せし光の番人」のストーリーにアクセスできるようにしました。一部は厳しいイベント調整が原因ですが、同時に進行度にロックされた設計の一般的な結果として、プレイヤーがストーリーのすべてにアクセスするためには普段よりも多くの試合をプレイする必要がありました。普段以上にLoLをプレイする時間の余裕がない人々は、自分では結末に辿りつけず、代わりに外部のソースに頼る必要があったのです。その上、ファンが本当に望むものを得るために克服しなければならない不快な障壁として、ゲームプレイが位置づけられる結果となり、プレイヤーとLoLとの関係は深まるどころか悪化しました。
ここで得た教訓は、物語(特にルーンテラの正史)はアクセス可能なものであるべきということです。周回作業をしなければ正史の主要部分が見れないという仕組みは、今後設けないようにし、「結集せし光の番人」のようなメタゲームが物語にアクセスする唯一の方法であってはなりません。
複数存在するストーリー
これはライアット全体の展望に関することになるため、少し扱いが難しい部分です。しかし、私たちがここで直接お話しするのは、PC版LoLの一部(クライアント内の「結集せし光の番人」と、ウェブサイトのシネマティック)における、ストーリーの語られる方法のみです。
長い間、PC版LoLはLoLユニバースのストーリーコンテンツを送り出す唯一のゲームでした。それゆえに、ナラティブとストーリーテリングの整合性を保つのは簡単でした(その時であっても課題は存在しましたが)。LoLが成長していくにつれて、多くのチームがLoLユニバースでストーリーを物語るようになりました。それらすべてのチームで物語のまとまりを維持するため、その成長過程の間、適所に修正システムを設けることはしませんでした。
「光の番人」の期間中、私たちは(1)「結集せし光の番人」、(2)シネマティック「滅びへの路」「夜明け前」「魂の赦し」、(3)ワイルドリフトのクライアント内の「光の番人本部」、(4)コミック「光の番人:揺るがぬ心」を通して、4つのバージョンのストーリーをリリースしました。これらのチームはそれぞれのストーリーテリングの媒体に合うよう物語に変更を加えましたが、核となるストーリーは同じままになるよう努めました。分かりやすいよう、以下に核となるストーリーを記載します。
- スレッシュがヴィエゴを蘇らせる。
- ヴィエゴはセナの中にあるイゾルデの魂の一部を奪おうとするが、セナとルシアンは逃走する。
- ルシアンとセナはルーンテラを横切する旅をし、ヴィエゴがイゾルデの残りの魂の欠片を集めるのを阻止しようとする。ルシアンとセナは滅びのチャンピオンたちと遭遇し、旅の途中で新しい光の番人たちを仲間に加える。
- アクシャンはその光の番人のひとりである。アクシャンは師匠である流浪の番人シャーディアのもとで訓練を受けた。シャーディアは最近シュリーマの将軍によって殺された。アクシャンに出会ったとき、彼はシャーディアを殺害した者をアブゾルバーで殺すことで彼女を生き返らせようとしていた。
- ヴィエゴの目的が達成に近づいたとき、光の番人たちはシャドウアイルで彼と対峙する。
- セナは自らヴィエゴに降参する。彼女の中のイゾルデの欠片が、それが世界を救う唯一の手段だと主張していたため。
- ヴィエゴがイゾルデの魂を全て集めて彼女を復活させると、セナは死んでしまう。
- イゾルデはアクシャンに自分を殺し、セナを生き返らせるようひそかに伝える。セナが死んだのはイゾルデの魂がセナから離れたことが原因であるため。
- 光の番人たちがヴィエゴを倒す。
- スレッシュは「破滅」から魂を吸収し、人間の姿を修復するために必要な力を集めるとシャドウアイルを去る。
媒体に合うようディテールが変更され、ストーリーの核ではありませんが影響があるものの例として挙げられるのが「新入り」です。「結集せし光の番人」の中で、新入りは公式設定上の外見(または性別、年齢など)を与えられていないため、シネマティックチームは姿を見せるすべを持たない新人がいなくても筋が通るよう物語に手を加えました。
PC版LoLのコンテンツしか体験したことがないプレイヤーにとっても、こうした調整が原因でどのバージョンのストーリーが“本当”で、他のバージョンがどういった立ち位置なのかが不明確になりました。「光の番人」のメインターゲットとしていた熱心な物語ファンにとって、これは特にゲーム体験の質が低下するという結果をもたらしました。
ここから得た教訓は、同じ物語の瞬間を裏付ける同時進行のストーリーテリングの形式は、個々の製品に最適化されていることよりも、一貫性を持っている必要があるということです。範囲の制限により、ひとつのストーリーテリングの形式が物語の一部しか語れなくとも問題はありませんが、その一部と他で語られた全体のあいだには一貫性がなくてはなりません。
チャンピオンの参加、ビジュアルノベルの範囲
光の番人たちは何年もかけて慎重に集められた理想のチームと言うより、ルーンテラ中でルシアンとセナが仲間に誘った、ヒーローらしくないヒーローの寄せ集め集団のような感じにしたいと考えました。この前提は机上では機能しましたが、実際に成功させるために必要な開発を、すべてのチャンピオンに展開することができませんでした。「結集せし光の番人」には十数体のメインキャラクターしか登場しないのにもかかわらず、ほとんどは“ただいるだけ”に感じられたのです。プレイヤーは私たちが意図した寄せ集め感を感じることがなく、ありそうもない参加はミスマッチに感じられ、さらに光の番人の理想像により合致したチャンピオン(例:ブラウム)の不在が目立ちました。
振り返ってみれば、世界全体で起こる「破滅」は、私たちが5~10時間のビジュアルノベルで語れる範囲をはるかに超えていました。ほとんどの体験は、世界を巻き込んだ戦いにはあまり適していない、少数のキャラクターの会話という形でもたらされてしまったのです。例えば、皆さんの多くは主要な地域の指導者たち(スウェインやジャーヴァン)が何をしているのか知りたがっていました。現実的に彼らが光の番人に加わることはないにしても、です。しかし、番人が指導者に直接遭遇しないのであれば、彼らを登場させる満足のいく方法がビジュアルノベルにはありませんでした。
描かれる範囲が世界規模であることによって、ストーリーと登場人物が大きく圧迫されてしまいました。すべての地域を訪れて光の番人を仲間に引き入れるということは、1つの地域であまり時間を使ったり、あまり多くのチャンピオンを仲間にできないということを意味します。シャドウアイルは最もこれに苦しめられました。物語のファンは「破滅」のストーリーラインに関連があるものの主要キャラではないか、または一切登場していないチャンピオンについて疑問を抱いたまま取り残されました(ヨリック、マオカイ、カリスタ、ヘカリムなど)。
ここから得た教訓は、大規模な物語イベントを完結していく中で、メタゲームとビジュアルノベルの範囲には限界があるということです。このような特性は、(評議会アーカイブがArcaneを支えたように)物語の拍動に色やディテールを加えることができますが、それ自体が膨大なストーリーのすべてを伝えることはできません。いくつかの地域と、より上手く展開されたキャラクターのみ登場する狭い範囲でストーリーを展開すれば、全体のうちのより満足感のある部分を語れたかもしれません。広範囲に及ぶ物語には、ストーリーテリングに特化した媒体のほうが適しています。
新入りの登場
プレイヤーの代わりとなるキャラクターは「精霊の契り」で使ったツールであり、プレイヤーに臨場感を与えるために「光の番人」でも再度使用しました。「精霊の契り」は、プレイヤーの個人的な交流を中心とした体験として理にかなっていました。なぜならアイオニアの精霊には、事前に設定があったわけではなく、プレイヤーは文字通りこのイベント中に初めて精霊と出会っていたからです。
「精霊の契り」とは異なり、チャンピオンを通して語られ、皆さんが年を追って知っていったストーリーである「破滅」の結末に命を吹き込むということが、「結集せし光の番人」の目的でした。このストーリーの中心的視点を無個性の新入りを通して発見することは、登場人物から脚光をさらっているような気分になり、皆さんが期待したチャンピオンとの絆からは逸れてしまいました。型どおりに感じさせるこの機能が、特に意味のある影響をもたらさない会話の選択肢によって悪化させてしまいました。
ここから得た教訓は、ビジュアルノベルを開発する際には、ツールとしてのプレイヤーの代わりとなる無個性なキャラクターはデフォルトとして考えるべきではなく、仲を深めることに常に焦点を当てる必要はないということです。一部の方が提案してくれたように、例えば「結集せし光の番人」をルシアンかセナの目を通して語ることもできました。この方法であれば、これまでの「破滅」のストーリーから逸脱を感じることなく、臨場感のある体験ができたでしょう。
トーン
ストーリーの内容として、「破滅」は重いお話です。「光の番人」は長期イベントだったため、重さや緊張感をやわらげる目的で軽いノリやジョークを追加したいと考えましたが、私たちがコミックリリーフに傾倒しすぎたのは明らかです。これによっていくつか問題が生じました。
1つ目に、プレイヤーは新入りの会話での選択肢として真面目な返答もしくは中立の返答がないように感じられました。これがプレイヤーの代わりとして感じられるという、新入りが持つ役割の達成を妨げていたのです。
2つ目に、連続する2つのシーンの雰囲気が一貫していないということです。危険と隣り合わせの非常にシリアスなシーンもありましたが、それ以外のシーンはコメディータッチでした。これにより、「結集せし光の番人」がどのような体験であるのかがつかみにくくなっていたのです。
3つ目に「結集せし光の番人」は、私たちが現在のルーンテラに初めて持ち込んだ世界の脅威、世界規模の「破滅」のリスクと深刻さにおいて、期待外れの結果を出すことになりました。
ここから得た教訓は、トーンはイベントを通してより一貫している必要があるということです。ストーリーラインに必要な時は、シーンが暗くシリアスになることを心配する必要はありませんし、コメディーシーンはほんの少しで十分で、大量に盛り込む必要はないのです。
チャンピオンにおけるキャラクター描写の誤り
上記の具体的な小論点は、一部のチャンピオンが正確に描写されていない感じがするということでした。特に会話での一部の選択肢は、「私たちの知ってるチャンピオンはこんなこと言わない」という回答まで引き出してしまいました。何体かのチャンピオンについては、カートゥーンっぽすぎると指摘されました。一番の例がレンガーであり、パイクもよく名前が挙げられました。ほかにも、問題のあるキャラクター描写として頻繁に取りあげられたのは、序盤のチャプターにおけるルシアンです。セナが危機に陥っているため、追い詰められている感じを出したかったのですが、ルシアンは冷たく、怒っていて、非情という印象を与えていました。
ここから得た教訓は、イベント独自のコンテンツをチャンピオンに重ねている場合でも、これまでのキャラクター描写の核に忠実である必要があり、度を超せば不自然に感じられるということです。前にお話しした「トーン」に関する教訓も、この部分で参考になります。本来そうはならないであろう場面に軽さを加えたいという理由で、チャンピオンを使う必要がなくなるからです。
複雑すぎるメタゲームシステム
「結集せし光の番人」には10人の光の番人が登場し、それぞれにプレイヤーが仲間に加えた順番に応じて、1つか2つの進行メカニクスが備わっていました。クライアントハブが中央となるエリアからプレイヤーをキャラクターバイオページへと送り、そこからワールドマップ、地域マップへと導きます。多くのプレイヤーにとって、この複雑さがイベントに集中するにはあまりにも高い壁を作りだしてしまいました。
特に不満感を募らせたのは、セッションの途中で知らないうちに1つの地域をクリアしてしまい、ポイントを獲得し続けるには他の地域を選択する必要があることを知らなかったために、何試合もをプレイして光の番人ハブに戻ると、努力の大半が水の泡になっていることに気づくというものでした。
ここから得た教訓は、自動的、そしてインターフェースとゲーム体験という面の両方で、今後のメタゲームのデザインを合理化するということです。これはメタゲームコンテンツが全体的に減るという意味ではなく、メタゲームコンテンツを体験する複雑さが減るべきである、ということです。
今後について
「光の番人」は、私たちが初めて手がける数か月にわたるストーリー展開、そしてPCではここ数年で初めての没入型物語イベント、さらにライアットの複数製品にまたがる初めての物語イベントであり、最大の盛り上がりでした。改善できた点はたくさんありましたが、上手くいった点もあったと思います。ここ数年で初のイベントゲームモードである「アルティメット
スペルブック」と、ライアットの4つのゲームで同時に行われたチャンピオンのリリースを含め、「精霊の花祭り」と同じ規模のスケールでイベントをリリースできたことを今も嬉しく思います。
いつもと変わらない表現になってしまいますが、皆さんからいただいたフィードバックの膨大さ、そしてそのフィードバックに反映されていた奥行きと気配りは、私たちにリーグユニバースとチャンピオンを使った色々なものをもっと体験したいという需要があることを証明してくれました。「リーグ・オブ・レジェンド」の物語イベントがなくなってしまうわけではありません。
この記事が「光の番人」にがっかりしていた皆さんに届くこと、そして私たちの教訓が皆さんの考える次までに改善して欲しい部分と同じであることを願っています。2022年にまたお会いしましょう!